見たくないんだから見ない

秋ドラマが始まった。

TBS「コウノドリ」シーズン2ですってよ。

キャストが好きなのでちょっと(精神的に)無理して

第1話を録画視聴したものの、

おもったよりも精神的にキツかった。

ああ、世の中的には「大変だけど、出産は幸せ」なんだなあと。

産後の不安もあるけど、時間をかけて受け入れられる現実と幸せ。

ってな感じの話で、子どもを持つ人達の感動を再認識できるドラマで。

 

いいんじゃない、とつとめて考えようとする。

私に子どもがいない理由と他の女性に子どもがいる理由は

1点の交わりもない。

そう理解していても苦しくなる。

「そうだ、見なけりゃいいじゃん。」

そうおもえるまで何日かかったことか。

今日の放送(第2話)から見ないことに決めた。

決めたらとても気持ちが楽になった。

 

誰かの出産感動話で勝手に傷ついていた自分。

そもそも傷つく必要ないと分かっていてもまだその辺の切り替えに慣れてない。

いつか「へー、すごい」とか単純な反応が出来る日がくるのをじっと待とう。

 

ちなみにこのドラマ、シーズン1の途中で1度目の流産、

今回放送前に2度目の流産。

そんな縁も勝手に感じて余計しんどいと勝手に思ってる。

 

こんなつまんないもやもや、誰にも話せないのがしんどいなあ、と。

母にはそもそも2度目の妊娠すら話してないし、

夫は夫で子どもができなかったことだいぶ落ち込んでたし。

やっぱり時間が解決してくれるのを待つしかないんだよね。

音楽って聴くと昔聴いていたころの記憶がよみがえるよね

録画していたEテレの猫メンタリーを見た。

村山由佳さんの回。

 

私はどっちかというと犬派かなと思うし、村山さんのファンでもなく

(多分作品は読んだことない)

それでもなんとなく番組のテイストが好きでみたのだけど

彼女の姿かたちをみてふと山本文緒さんを思い出した

(ちょっとふっくらしてたので)。

年齢も有名になった時期も近いような気がする。

そして文緒さんも猫好きだったよな(えと、誤解されるといけないけど彼女は存命)

女性作家って皆なんか苦労してるなぁとか、

でも作家は時には苦労が何倍にも稼ぎ(作品)につながるというけど・・・とか

TVを目では追いつつもほとんど内容は頭に入らず

同世代作家に鷺沢萠は入るんだろうか?とか

鷺沢さんは永遠の35歳か、私は随分彼女の年齢超えちゃったんだよなとか

そんなことばかりぐるぐると。

 

そんなきっかけから、昔自分が病気していたころよく聞いていたアーティスト

川村結花)を久しぶりにググってみた。

 

アルバム発売予定ですって。

ameblo.jp

spotifyで結花さんをすごく久しぶりに聞く。

10年と少し前、泣きながら聞いた曲たち。

泣いていたあの頃、永遠に笑える日が来ないと思っていたんだよな。

彼女の曲は札幌の乾燥した空気と、雪を思い出す。

すっかり元気になった今、結花さんの新しいアルバムが出るらしいというのは

結構うれしい。

新しいアルバムに紐づく記憶は札幌ではなくて今の地域の記憶で、

ちょっと穏やかな今の日々の記憶になるんだろうか?

そんなことにわくわくしている。

ニュースになるのは見栄えのいい被害者が出たときだけ

過労死問題が新聞やテレビで取りあげられる回数が激増したのは、

電通の高橋まつりさんの過労死問題からで、

あの被害者が無名の大学出身だったり、

地味な女性だったり、

ましてやパッとしない男性だったなら

あんなに取り上げられなかったよなあと思っていて。

 

あれから時間は経って今日の新聞ではnhk記者過労死問題

headlines.yahoo.co.jp

が大きく取り上げられていて。

やっぱり若くキレイな女性。

はあー、と息を吐いた。

 

きっと暫くは同情やら共感やら、同世代だけではなく上の世代も

一斉に会社を叩くんだろう。

嫌になる。

 

体育会系ムキムキ男子も、地味で友達多くない女子も、

辛いと思って生きてるひとは沢山いるだろうし

そんでもって亡くなってしまう(突然の病気や自殺等)ことはあるのに、

一点の曇りのない限られた人だけが被害者のようにもてはやされるのは

苦しいなあ。

 

そんなことを考えていて、先日見たbsのドキュメンタリー

www6.nhk.or.jp

を思い出した。

アフリカから地中海を渡って来る難民の話だったのだけど、

ボートにのっているのがほぼ若くて体力有りそうな(20-40代)男性で

物凄い違和感を持ったんだった。

なんで女性はこんなに少ないのか、子どもはほんの僅かなのか、

高齢と言わなくとも中年のどこにでもいそうな人はいないのか

とかそんなことばかり見ながら思ってた。

(多分渡航するには手配師にお金渡す必要あるとか

限りあるお金で一族渡るには男性優先とかあるんだろう)

 

地中海を渡って来る難民問題は日本でもニュースになったけど

あの報道きっかけも分かりやすい被害者

(3才位の男の子の遺体が浜辺に打ち上げられていた)ありき

だったんだ。

中年のおばさんではニュースにならなかったと思ってる。

メディアってズルいし、そういう記事を無意識にでも選んでいる読者も

(そこには自分も含まれる)ズルいなあと。

 

 そんな暗いことを思いながら、今日のノーベル文学賞受賞の

 選考委員会コメント

カズオ・イシグロ氏の力強い感情の小説は、私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」

がなんかよくてちょっと涙がでた。

 

もういい加減、村上春樹ノーベル賞期待するのはやめたほうがいいよね?

一応何冊か読んでるけど、全然良さが分からない人間なもんでね。

すまん。

 

最近みた映画たち(~9/28)

・イレブンミニッツ

・怒り

・ハイ・ライズ

・ミュージアム

 

イレブンミニッツは昔の「ショートカッツ」とかを彷彿とさせる。

映像はなんやらカッコいいような、でもざわざわした感じ(質感)とか

伏線大量ばらまきの割に回収されないのが余韻のようなリアリティというか。

で、見終わった感想としてはあまりない(笑)という

アートな感じ。

何事も、メッセージや答えがあるとは思うなよ!と言われたような気分。

 

怒り

最近の邦画でもキャストが豪華だなと思っていたものの一つ。

渡辺謙宮崎あおい広瀬すず妻夫木聡綾野剛・・・

3つの話で構成されるんだけど、宮崎・渡辺パートは無くてもいいなあなんて。

ほかの2つが重い内容である分、バランスが取れない感が強い。

宮崎あおいは嫌いじゃないけど、演技の幅を広げたいとかあってのあの役なんだろうけど、いろいろ無理ある感じで余計ダメだったようにも。

良かったのは広瀬すず。ただし、彼女の設定(年齢とか旅行者なのか住民なのか、昔から住んでいるのか最近引っ越してきたのかとか)が説明されないまま進むので

勝手な思い込みで(高校生、旅行者)とか思ってみてしまうと

途中でなんか話がかみ合わなくなって、あれれとなる。

映画であまり説明するとダサくなるのは分かるけど、何かしら説明あるといいなと。

 

ハイ・ライズ

悪夢系SFとでもいうか。

都会のタワマンでの悪夢。

途中まで頑張ってみたものの、最後15分くらいを残してギブアップ。

 

ミュージアム

ネットの映画評でタイトルを見た記憶があり視聴。

その記事では「超怖いが本当に怖いシーンは直接映らないのでそれがまたすごい」

みたいな記事で。

(ストーリー自体は読んだのかどうか覚えてない)

予想通り怖くてグロテスクで(でも確かに直接の暴力シーンはほとんど映らない)

免疫薄い人は夜トイレいけなくなりそうな感じ。

そんな中、主役小栗旬に愛想をつかす嫁役の尾野真千子に、

40代主婦(私)の突っ込みは「仕事中毒でも浮気もせずギャンブルもしない小栗旬だったら許そうよ」

というばかばかしいもの(笑)。

たまたま隣で一緒に観ていた夫は大笑い。

たいていの辛いことは「小栗旬だもの」でスルーできそう。

最後まで怖くて、どきどきして、でもよく考えたらただただ小栗旬がカッコいいだけの映画だったようにも思う(Mozuの西島君みたいな感じ)。

最近みた映画やドラマ(〜9/7)

・二重生活

・湯を沸かすほどの熱い愛

リプレイスメント~全てを奪う女~

・何者

マイケルムーアの世界侵略のススメ

・SCOOP

・エベレスト

 

なんか、どの作品も予想通りな結末でちょっと残念。

もう若い頃味わったドキドキや驚きは味わえないのか?

と寂しくなる。

大学生の頃、レンタルしたビデオでみた「ユージュアルサスペクツ」

あれが一番ビックリだったよなあ。

 

個別のメモとして。

・二重生活→院生門脇麦の屈折加減とセレブ長谷川博己、真面目なリリー・フランキーはキャスティング良なのだけど、どれもエピソードが振りきれてない。あの程度なら深夜のドキュメンタリー番組の方がドラマティックな話出てくるよなあ。

 

・湯を沸かすほどの〜 →伏線が沢山張られるのだけどそれが不自然なので見てると「これはきっと伏線だろう」とわかってしまう。結果としてそんなに驚きの展開にならない。

 

リプレイスメント →ホラーでもサスペンスでもなく、思い込みと神経過敏とホルモンバランスが引き起こしたトラブル話。

 

・何者 →桐島が部活辞めた話と系統はイッショ。「あるある」の嵐なのだけど改めて映画で見ても「あるある」から何かにレベルアップする事はない。

 

〜とりあえずここまで。残りのメモは後日追加予定〜

 

 

 

誰かに止めてもらいたいという気持ち

Yahooニュースのこの記事を読んで、

自分が精神的に参っていた時期のことを思い出した。

news.yahoo.co.jp

 

 

私は摂食障害ではなかったけど、

(それでも異常な食欲と、その後の言いようもない罪悪感は経験済み。ただし、これらの原因は別の精神科処方薬の副作用からくる食欲増進も大きかったのかもしれないし、やはり精神的絶不調による脳神経たちが極端に誤動作を繰り返していた可能性やら、やっぱりそれでもストレスなのかもしれない、とか今でもよくわからない)

病気仲間でそういう症状を併発している人とも出会っている。

私の悩みや問題とはまた別の世界で苦しんでいるんだなぁと

思った記憶は今でも残ってる。

 

今ではTVやネットの記事で随分摂食障害についてオープンにする経験者が

増えてきたなと思う(小島慶子さんとか鈴木明子さんとか)。

もちろん、現在も症状を抱えている本人やその家族からみると

「そんな簡単な話じゃない」と腹立たしい記事や取り上げ方もあるだろう。

それでもわかってないひとが一般的にはまだ多いだろうし

「わがまま」「頭おかしい」「ぜいたく」・・・

等批判する大人(特に年配の人に多いイメージ)に悲しく思って

「自分も同じ障害を抱えて苦しい」だなんて告白できないよと思ってるかもしれない。

 

この記事読んで、「(逮捕された陸上選手が)もう隠さなくていい」と言うシーンが

本当に苦しんでいる当事者の気持ちを表しているなぁと。

その話から自分の過去を思い出す。

精神科へ通院していてどうにも快方せず、どんどん悲惨

(薬でのコントロールがうまくいかず自傷出現)になってきて

「もうこのまま緩やかに死ぬ(何十回目かの自傷失敗で?)未来しかない」

と絶望していたとき、医師から「入院しましょう」と言われた時のこと。

一気に事態が転回する予感と安心。

(入院しただけでは好転しないのは入院してみると分かるのだけど 笑)

「ああ、もう監視されるし、自傷はできないから、薬の過量服薬できないから、

間違って死んでしまう心配ないんだ」

とほっとしたのを思い出す。

誰に強制されたわけでもなく、自分の意思でやってる(自傷や過量服薬)ことなのに自分でコントロールできないという怖さは、普通に健康に生活している人には想像が難しいだろう。

 

でも、(ちょっと考えたらわかるんだけど)

入院しただけですべてがうまく復活するほど人生は単純ではなくて、

いろいろ格闘と諦めと妥協と根気で今の元気な中年女性の私があるのだけど

摂食障害で苦しんでいる人、なんとかきっかけがつかめるといいなぁと

そんなことをこの記事を読んで思う。

最近みた映画たち(~8/21)

・葛城事件

・淵に立つ

・日本で一番悪い奴ら

 

ほかにもたぶん結構みた(CATVにて)だろうけど

メモってなくて思い出せず。

 

 

どの作品も、映画レビュー(各種メディア)ではそれなりに評価されている作品で

「淵に立つ」はカンヌで「ある視点」部門審査員賞などとってる。

「淵に立つ」は、あらすじを全く見ずに映画を見始めて、

あまりのかったるさに開始30分くらいで停止ボタンを押してしまった。

(録画してからゆっくり見る派)

たまたま夏休みで一緒に観ていた夫はそこでようやくあらすじサイトをチェックし始め

後半の嫌な展開を予習したために「僕はこの先見ない。君だけみたらいいよ」

といったという作品。

 

え?なんのことを言ってるのかさっぱり分からない?

(これは映画レビューではないし)

うん、そうね。

 

つまり「賞は取った作品だけど見ていて気分良くない作品だし、見る意味は人それぞれだけど、40代男性には感じられなかった(個人の感想)」という作品。

 

そうはいうものの、私(40代女性)は怖いもの見たさで夫不在時に続きをみた。

うーん、この映画をみる意味はあるのかないのか。

そういう話なんだろうか、とか、そもそもじゃあ映画って何のために観るのよとか

ハッピーな話だけ見てればいいというのもどうなのよ、とか、

でも救いあるのかい?とか

まあほんの少しの時間考えたけど、それより見終わった感想としては

自分の両親みてるみたいだったなぁと。

実家に帰省して「やっぱり私は実家でて正解」と毎回思うあの感じに似ている。

 

ちなみに両親は殺人事件に絡んだり(父)浮気したり(母)したという意味ではなくて、ちゃんと現実に向き合えないというか、いい大人な私(娘)からみると

随分子どもっぽい。

 

映画でいうところの

父が殺人事件に関与したと告白するタイミングでなぜか

足の爪を切りながら明後日の方向みてるとか

父友人に言い寄られて、はっきり態度を示せない(キスしちゃう)母とか

そんな母を勝手に「体の関係あったんだろう」と疑う父も

その質問にきっぱりと「違う」と言えずにいる母のことがなんとなく重なる。

 

生きてると、言葉がすべてではないのは分かる。

態度で示すだけでは足りないのもわかる。

でも、やっぱりちゃんと「言葉と態度で伝える」というのは

生きていく上では大事だとおもうんだよな。

あの映画をみて

「ああ、私の両親のダメな部分だけ強調したらこんなだわ」

と思ったわけで。

 

そういう意味では、現在の朝ドラ「ひよっこ」はちゃんと言葉と態度で示すあたり

さすがNHK(笑)。

そんな「ひよっこ」で先日じーんとしたセリフは

「親からなにかしてもらうことを期待しているのは子どもの証拠。

自分から親のことを考えて動く、親を許すそれが大人」

ってやつね。

うんうん頷きながら見る私。

そしてちょっと自分を振り返ってそういえばもう随分「親に何かしてもらう」

という期待とは縁ないなぁっていうことに気づく。

いやいや、朝ドラセリフからして

「40過ぎた人間が何甘ったれたこと考えてんだよ」と自分に突っ込んでみるものの

あまりちゃんとは「許せてない」のはまだ子どもなんだろうなぁ。

ただ、自分の腹の中では「ろくでもない人だよな」と悪態ついても

口に出さないようにしている(つもり)のはそれなりに頑張ってるつもり。