TV見たくない日はラジオに限る

朝は一応、TVでニュースをみるのだけど

気分良くないのばかり続くのですぐラジオにする。

ラジオは車に乗るようになって聞くようになったのだけど

家事しながらとか、なんとなく無音だと寂しいとか

そういう理由でつけておくにはTVよりも数倍よいと思ってる。

 

出演者(DJというのか?アナウンサーっていうのか?)

はTVよりも聞き取りやすいしゃべり方するし、

音楽が流れている比率も高いし

時々ニュースも流れるし。

 

ワイドショー的な(もう飽き飽き)ネタにはあまり触れないしね。

 

今朝TVでは首都圏大雪で盛り上がり

ちらっと流れた「丸岡いずみ代理出産」では私の心がちょっと痛み

昨日までは小室哲哉引退、大砂嵐交通事故問題でわあわあと。

 

もう妊娠・出産ネタで自分が傷つくのはご免、と思っている。

このニュースに対してワイドショーコメンテーターが

賛否論じるのも見たくない。

小室哲哉の会見もちらっと見たけど、

どう見ても精神状態よくない人独特の顔の表情。

「ああ、やばいなあ」とそっちばかりに気が行ってしまう。

私が精神的にひどかった頃の夫ってこんなだったのかも・・・

と嫌なことしか連想できない。

 

でも、ラジオは平和。

本当に助かる。

もちろん時々「道路交通情報」で、大雪の影響で通行止めに

なってる箇所の案内や、渋滞情報も流れる。

でも、淡々と放送されるだけだし、TVのフィーバーとは

別物のように思う。

なんだろうねぇ。

 

まだ外は雪がたくさん残ってる。

図書館から借りた本よんで、静かに過ごそう。

成人式問題

数日たってワイドショーもひと段落したけど

晴れ着レンタル業者のばっくれ問題「はれのひ」。

あのニュースをみて日本は晴れ着を着るのが当たり前になっていて

それができない子というのはとても少数派扱いなんだなと。

 

かくいう私は、2浪中でセンター試験当日だったため

成人式の式典にはそもそも出ていない。

振袖を着て写真をとるということは一応したけれども

全然違う季節(夏くらい?記憶が怪しい)に親戚の結婚式で

着物を着たついでに写真屋さんで撮影したけど、

親戚から借りた振袖で、

メイクは超ダサい(年配の美容師さんがやったのでコントみたい)し、

全然いい思い出になってない。

写真は出来れば二度と見たくない(笑)ので実家の押し入れに。

 

仮に、浪人していなかったとして

高校から地元を離れた私には、成人式で再会する友人というのは

「小学校中学校の同級生」しかいないけど

一般的に成人式で再会して盛り上がる人間関係って高校とかじゃないか?

と思うわけで、どこまで行っても多数派のお祭りには乗り切れなかったはずなので

「浪人中でセンター試験受けてて参加できなかった」という欠席理由は

40歳を過ぎた今となっては出来すぎたもので有難かったりもする。

 

で、話を戻すと。

「子どもの貧困」が騒がれる時代に

晴れ着を着られない家庭の子どもが「無視」されるかのように

はれのひ被害者」が取り上げられるのがどこか気持ち悪い。

もちろん何十万円も予約金いれていて、着物を着られなかったのだから

完全なる被害者だし、彼女たちに落ち度はないのだし、かわいそうなんだけど。

 

涙ぐんでいる被害者たちをTVで見るたびに

「晴れ着をレンタルすらできなかった子」に気が行ってしょうがない。

そんなこと考えていたら朝日新聞に「養護施設出身者むけの成人を祝う会」

の記事が。

 

ざっくり引用>

 東京都内のある児童養護施設で14日、出身者の成人を祝う会が開かれた。施設は原則18歳で出なければならず、退所後の社会的な支援も十分ではない。「ひとりじゃないよ」。そう伝えるため、当時の理事長の女性らが4年前に始めた。善意で寄せられた振り袖に身を包んだ新成人の門出を、職員や先輩が祝った。

 

 児童福祉法上、施設で暮らせるのは原則18歳まで。退所後は親に頼れず、生活が行き詰まる子もいる。未成年者は保護者の同意がなければ賃貸住宅や携帯電話の契約もできない。

 「退所後もケアを続けよう」と、施設を運営する社会福祉法人の当時の理事長、坂本輝子さん(64)が呼びかけ、「成人を祝う会」を始めた。今年で5回目だ。

 新成人の着付けやヘアメイクはボランティアの女性6人が担った。振り袖は坂本さんの知人らから施設に無償で提供されたものだ。

 着付け後、新成人は先輩らと一緒に西新井大師(東京都足立区)に参拝。施設に戻ると赤飯やケーキが振る舞われた。「成人式を機に再会してケアすることが大切」と坂本さん。この日も新成人に声をかけて回った。「いつでも相談しにきなさいよ」

<ここまで

 

ちゃんと心配してくれる大人がいたんだ、よかった。

ああ、私はこういう感じで何かサポートできることないかな

そんなことを考えた。

まだ子どもに関わる仕事だったりボランティアだったりはしんどいと思っている

特に小さい子向けは。

どうしても「子どもができなかった私」を意識させられて

「子どもができた人」をうらやましく思う気持ちがむくむくしてしまうし

そんな「子どもができた人」が「私だったらこうしたのに」を実行していないことに

勝手にイラついてしまうのだ。

 

だけど、少しずつそんな気持ちも落ち着くだろう。

そうしたら、何か自分にできること、やってみたいそう思ってる。

コンビニ人間

ようやく読めました。「コンビニ人間」。

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

最近は可能な限り、本は図書館で借りる作戦なので

(お気に入りの作家でもまずは図書館で借りる)

予約したのは芥川賞受賞まもなく。

 

図書館の予約待ちは予想通りの長期戦で

1年くらい待っただろうか。

もうすっかり予約したのを忘れたころに

「図書確保」のメールが届いて、読みたい熱も冷めている状態で手元にくるという。

やはり「読みたい熱」があるときに読み始めないと

読書って難しいよなぁと最近は感じ始めている(なんのこっちゃ)。

 

てなわけで、もう何度目か後の受賞者が発表されたというのに

読書感想メモ。

 

いやあ、超よかったっす。

 

この一言に尽きる。

文学なのか、ギャグなのか、

生きにくい人間の多様性をつづったルポ(Eテレ風)なのか・・・

なんてことはこの際どうでもよろしい。

小説のモデルが作者なのか、そうでないのかもどうでもよろしい。

コンビニが抱えるSFチックなところをうまく生かしているなぁと感心する。

 

コンビニの

異常な清潔さ(おにぎりは超清潔に作成されるとか)

常連客でもいつもクールに接客される感じ(世間話御法度みたいな)や

マニュアル化が進んで働く人がロボットっぽいところとか

がどうしてもSF小説を連想させるのだけど、

どれも自分が知っているコンビニの話であるというのがポイント。

だから「今」の日本のコンビニの様を知っている人でないと

面白さは理解できないと思う。

(例えるならば、日本のコンビニ文化がない国の言葉に翻訳されて

その地で出版されてもこの本の良さ全ては伝えられないだろう)

だから、何十年経っても読み返される本なのかはわからない。

 

高校のころ読んだ「明治大正期の文学」にも

「今はそんな時代じゃないから何言ってんだ?」というポイントと

時代を超えて共感する感情や思いもあるわけなので、

文学って広いなとは思うのだけど。

 

ただ、「コンビニ人間」には今の時代の息苦しさと

時代に関係なく「まわりに対してうまく振舞えない」人間のぎこちなさのバランスが

いいなと思う。

 

読書後、ネットでレビューを探してみると結構あるのね。

試しに読むと面白ポイントがまとまられていたので貼っておく。

blogos.com

てんさい糖その後

どうもコクが足りないというか、うすぼんやりとした感じになってしまい

こりゃだめだと。

 

ヒヤリハット対策での色付き砂糖導入なので、上白糖に戻すのではなく

三温糖にしてみた。

 

日新製糖 三温糖 1kg

日新製糖 三温糖 1kg

 

 

こっちだと煮物系のこくがしっかりでていい感じ。

さて、残ったてんさい糖はちびちび消費することにしよう。

てんさい糖にしてみた

キッチンで使っている砂糖を上白糖からてんさい糖に変えた。

 

なんだか意識高い主婦っぽなとか、えへへと思いつつ

実際には

「砂糖と塩の間違い防止」

という理由だったりする。

 

結婚前も、結婚してからも、料理が超苦手だった私だけど

ここ数年はそこそこ料理をするようになり

自家製〇〇に挑戦したり(梅干し、塩ラッキョウ、漬物、ポン酢など)

お惣菜系もレシピ集を参考に作ったり。

そんな中、先日初めて砂糖と塩を間違えて使うという失態をしてしまった。

(実際にはすぐ気づいて修正できたので実害はなかった)

 

そこで、ヒヤリハットから重大インシデントに発展する前に

可能な限りの対応策、と考えての(大げさ)色付きの砂糖導入なわけです。

 

私よりも便秘気味な夫のこともあって、オリゴ糖が含まれる

てんさい糖はどうかな?と。

あとは原料がサトウキビじゃない砂糖っていうのに

興味があったというのもある。

(決してサトウキビは体を冷やすから悪とかそういう思想ではない)

 

まだ違いはわからない。

敏感な味覚をもっていないのでそんなもん?

味噌とか醤油はメーカー変えるとすぐわかるんだけど

砂糖ってわかりにくいのか?

しばらくは砂糖の違いを意識した料理になりそうだわ。

長女活動の季節

年末年始は経験上、長女活動が一番盛んになる。

 

長女活動とは、主に母から

「あれどうしたらいい?」という連絡が電話なりメールなりできて

断るのも、この人に聞いたらいいよも、面倒くさくなって

「じゃあ私がやるから・・・」

の一言を私が発してしまう→作業すること全般を指すのだけど

ここ最近はPCの操作と年賀状作成を。

 

SkypeとTeamViewerを駆使してあれこれ。

年賀状なんて自分の分は印刷するのが面倒だから

少ない枚数でもわざわざ印刷屋さんに発注しているのに

実家の年賀状はフリーの画像ダウンロードして作成しているという謎。

 

高齢の親(主に母)は年々娘を頼りにするようになった気がする。

でもよーく考えたら、私が大学を卒業して働くようになったころにも

同じように頼られてる感があったので

20年くらい同じ強度で頼ってる可能性もある。

あの頃は年に何度か泊りがけで遊びに来て、一緒に出掛けたり

買いものしたり、食事するのがうれしそうだった。

友達母娘という言葉が流行ったころだろうか?)

私は急に距離が縮まって戸惑いと面倒くささと、

流行ってるしという気持ちにくらくらして

どうしていいかよくわからない時期だった。

 

それでも今は海を隔てた距離に住んでいるので

「いきなり来ちゃった」みたいな恐怖がない分優しくできる。

(人間、口だけなら優しくなれる というのを実感してる)

 

苦手な父とはSkype越しにちょっと声を聴くくらいがちょうどいい。

母からは体の不調、サークルの話、TVで地元が取り上げられた話、

父への不満などなどを1時間くらい聞いて、

PCのサポート(更新しろって画面でてるんだけどどうするの?とか)

して、だいたい長女活動は終わる。

多分長男活動はこんなではないだろう。

(弟は年1回帰省するルーチンなので、それが長男活動といえるが)

 

面倒だけど、何にも引継ぎなしに介護しろと突然言われるのも困るので

最近はこれも必要な作業と割り切る。

折に触れ加入している保険、預貯金、年金、ハンコなど聞きだす娘。

遺産を期待してるわけではない。(そもそも葬式代程度しかなさそう)

急に入院したとかそういうときに、なーんにもわからないというのは

こちらが困る。

そして、そういう困る感じは夫の両親のほうには十分発生しそうだ。

せめて、自分の親だけでも衝撃を和らげたいと

長女活動は大事な活動になってきたように思う。

TBSのドキュメンタリー「がんとネット」

録画していたドキュメンタリーを見る。

www.tbs.co.jp

 

最近病気(メインはがんだけどそれ以外の病気も)の

民間療法や自由診療的なものに対する批判・肯定の書物をよく読む。

比較的古い話だと近藤誠の「がんもどき」から

最近だと芸能人でがんで亡くなった方々が民間療法→悪化

という話で週刊誌やワイドショーで盛り上がっていたり。

私が好きな(ロシア語通訳・エッセイスト)米原万里さんも

がんで亡くなったのだけど

亡くなるちょっと前のエッセイで民間療法の誘惑と

効果がなかった時の絶望と、

その他もろもろを赤裸々につづっていたのを思い出す。

 

数年前に高校の同級生が乳がんで亡くなった。

彼女とは卒業以来会っていなくて、

だから闘病の話も本人からではなく別の同級生から聞いただけなので、

どこまで本当なのかはわからないのだけど

彼女も標準治療とよばれるもの以外にだいぶ頼ったらしい。

なんとか生活を立て直したいと思う気持ちはよくわかる。

以前自分が精神科にお世話になっていたころを思い出しても、

そして不妊治療にどっぷりつかったころを思い出しても、

いい結果がでるならお金なんてなんとかする・・・

と思えるものだから。

 

がん患者が「とんでも医療」にはまった結果の悲惨さは

どこか精神疾患患者のそれに近い。

がん患者の行き着く先が肉体の死であるように

精神疾患患者のそれは、精神の死だな、と。

 

それとは別次元なのが不妊治療の底なし沼。

がんの自由診療並みに恐ろしく高額で、国内がだめなら海外・・・

と、とどまるところを知らない。

がん治療で離婚はあまり聞かないが(私が知らないだけかも?)

不妊治療からの離婚は残念ながらまあ、ある。

やめ際、引き際、そういうものでその人が持つ価値観が出てしまうから。

今振り返っても、自分がよくその沼から出てこれたものだと

感心する(笑)。

 

最近、「がんもどき」近藤誠はアンチワクチンへ進出してきている。

ワクチン副作用の恐怖

ワクチン副作用の恐怖

 

 

子宮頸がんワクチンは国内ではネガティブイメージが浸透してしまったけど

欧米では打たないほうが虐待扱いされる国もあるとかないとか。

(海外ドラマでそんな描写をみて驚いた)

この騒動に関係した村中璃子さんが「ジョン・マドックス賞」

を受賞したのだけど、TVでも新聞でも(我が家は朝日)取り上げてないね。

www.j-cast.com

 

こういう情報操作みたいなことやってるから

「とんでも医療」なくならないんだよ、とつぶやく夜。