確定申告(もう何年目?)

今年も確定申告するのだけど(医療費控除)。

年々慣れてきて、とうとう今年は事前に書類を用意しよう

という気分になっている。

まだ受付開始前なのに、医療費をまとめているなんて

超優等生じゃんと自画自賛して気分をあげる。

 

と、ここまではまあよかったのだけど

去年までは住基カードe-Taxしてたのを、

カード期限切れに伴いマイナンバーカードにしたら

カードリーダーが非対応だった。

 

手間を考えると、e-Taxでの申告が楽。

でもカードリーダー買わないといけないのが微妙に痛いんだよな。

Amazonで2000円ちょいで発見したのでこれでいいか。

 

 

以前、住基カードe-Taxしはじめたころには、

カードリーダー購入補助金かなんか(3000円くらい?)出たような気もする

のでそんなに負担感強くなくて

でも、今年はそういう補助ないし、地味に負担だなぁ。

だからと言って、印刷して郵送するのはもっと手間だから嫌だもんね。

5年くらい使えたら気分的に償却可能かしらん?

気持ちは下がって上がって落ち着いた?

ワイドショーを避けて過ごしたので、芸能人の代理出産ネタ

議論については結局よく分からないのだけど。

年末に放送されて、その後再放送された代理出産に関する

ドキュメンタリーをとうとうみた

www.nhk.or.jp

 

あらすじレビューはここにもあるけど

amagomago.seesaa.net

 

見ようと決めて、実際にみて、

自分が思っていたよりずっと

「もう子ども産んでない自分に落ち込む」度が下がっていることに

驚く。

 

「子どもいませんが何か?」な

開き直りの状態に突入したのか(笑)?

 

番組感想は後からかくとして。

中国人が代理出産をアメリカ人に依頼して産んでもらうという構図が

どこかホラーだなと。

 

国籍を無視して考えると単純。

金持ちが貧乏人に代理出産させる。

ずいぶん前からアメリカ人同士でやってたことなのだけど

(ハリウッドセレブが代理出産なんて何度も聞いたことある) 

国が違うと文化も違い、

中国人の考え方や行動力はさすがと言いたくなる感じで

気分悪いを越えて途中から笑いながらみてしまう。

 

見終わっての感想は「札束で殴る」

という言葉ってこういう時に使うんだっけか?

と。

 

この番組みて落ち込んでないというのは

一歩進んだ気がして自分自身に対してほっとしている。

まだ一般的寿命からして人生続くので

子どもいないという一点拘らず、楽しいこと見つけながら

生きていきたいなと。

TV見たくない日はラジオに限る

朝は一応、TVでニュースをみるのだけど

気分良くないのばかり続くのですぐラジオにする。

ラジオは車に乗るようになって聞くようになったのだけど

家事しながらとか、なんとなく無音だと寂しいとか

そういう理由でつけておくにはTVよりも数倍よいと思ってる。

 

出演者(DJというのか?アナウンサーっていうのか?)

はTVよりも聞き取りやすいしゃべり方するし、

音楽が流れている比率も高いし

時々ニュースも流れるし。

 

ワイドショー的な(もう飽き飽き)ネタにはあまり触れないしね。

 

今朝TVでは首都圏大雪で盛り上がり

ちらっと流れた「丸岡いずみ代理出産」では私の心がちょっと痛み

昨日までは小室哲哉引退、大砂嵐交通事故問題でわあわあと。

 

もう妊娠・出産ネタで自分が傷つくのはご免、と思っている。

このニュースに対してワイドショーコメンテーターが

賛否論じるのも見たくない。

小室哲哉の会見もちらっと見たけど、

どう見ても精神状態よくない人独特の顔の表情。

「ああ、やばいなあ」とそっちばかりに気が行ってしまう。

私が精神的にひどかった頃の夫ってこんなだったのかも・・・

と嫌なことしか連想できない。

 

でも、ラジオは平和。

本当に助かる。

もちろん時々「道路交通情報」で、大雪の影響で通行止めに

なってる箇所の案内や、渋滞情報も流れる。

でも、淡々と放送されるだけだし、TVのフィーバーとは

別物のように思う。

なんだろうねぇ。

 

まだ外は雪がたくさん残ってる。

図書館から借りた本よんで、静かに過ごそう。

成人式問題

数日たってワイドショーもひと段落したけど

晴れ着レンタル業者のばっくれ問題「はれのひ」。

あのニュースをみて日本は晴れ着を着るのが当たり前になっていて

それができない子というのはとても少数派扱いなんだなと。

 

かくいう私は、2浪中でセンター試験当日だったため

成人式の式典にはそもそも出ていない。

振袖を着て写真をとるということは一応したけれども

全然違う季節(夏くらい?記憶が怪しい)に親戚の結婚式で

着物を着たついでに写真屋さんで撮影したけど、

親戚から借りた振袖で、

メイクは超ダサい(年配の美容師さんがやったのでコントみたい)し、

全然いい思い出になってない。

写真は出来れば二度と見たくない(笑)ので実家の押し入れに。

 

仮に、浪人していなかったとして

高校から地元を離れた私には、成人式で再会する友人というのは

「小学校中学校の同級生」しかいないけど

一般的に成人式で再会して盛り上がる人間関係って高校とかじゃないか?

と思うわけで、どこまで行っても多数派のお祭りには乗り切れなかったはずなので

「浪人中でセンター試験受けてて参加できなかった」という欠席理由は

40歳を過ぎた今となっては出来すぎたもので有難かったりもする。

 

で、話を戻すと。

「子どもの貧困」が騒がれる時代に

晴れ着を着られない家庭の子どもが「無視」されるかのように

はれのひ被害者」が取り上げられるのがどこか気持ち悪い。

もちろん何十万円も予約金いれていて、着物を着られなかったのだから

完全なる被害者だし、彼女たちに落ち度はないのだし、かわいそうなんだけど。

 

涙ぐんでいる被害者たちをTVで見るたびに

「晴れ着をレンタルすらできなかった子」に気が行ってしょうがない。

そんなこと考えていたら朝日新聞に「養護施設出身者むけの成人を祝う会」

の記事が。

 

ざっくり引用>

 東京都内のある児童養護施設で14日、出身者の成人を祝う会が開かれた。施設は原則18歳で出なければならず、退所後の社会的な支援も十分ではない。「ひとりじゃないよ」。そう伝えるため、当時の理事長の女性らが4年前に始めた。善意で寄せられた振り袖に身を包んだ新成人の門出を、職員や先輩が祝った。

 

 児童福祉法上、施設で暮らせるのは原則18歳まで。退所後は親に頼れず、生活が行き詰まる子もいる。未成年者は保護者の同意がなければ賃貸住宅や携帯電話の契約もできない。

 「退所後もケアを続けよう」と、施設を運営する社会福祉法人の当時の理事長、坂本輝子さん(64)が呼びかけ、「成人を祝う会」を始めた。今年で5回目だ。

 新成人の着付けやヘアメイクはボランティアの女性6人が担った。振り袖は坂本さんの知人らから施設に無償で提供されたものだ。

 着付け後、新成人は先輩らと一緒に西新井大師(東京都足立区)に参拝。施設に戻ると赤飯やケーキが振る舞われた。「成人式を機に再会してケアすることが大切」と坂本さん。この日も新成人に声をかけて回った。「いつでも相談しにきなさいよ」

<ここまで

 

ちゃんと心配してくれる大人がいたんだ、よかった。

ああ、私はこういう感じで何かサポートできることないかな

そんなことを考えた。

まだ子どもに関わる仕事だったりボランティアだったりはしんどいと思っている

特に小さい子向けは。

どうしても「子どもができなかった私」を意識させられて

「子どもができた人」をうらやましく思う気持ちがむくむくしてしまうし

そんな「子どもができた人」が「私だったらこうしたのに」を実行していないことに

勝手にイラついてしまうのだ。

 

だけど、少しずつそんな気持ちも落ち着くだろう。

そうしたら、何か自分にできること、やってみたいそう思ってる。

コンビニ人間

ようやく読めました。「コンビニ人間」。

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

最近は可能な限り、本は図書館で借りる作戦なので

(お気に入りの作家でもまずは図書館で借りる)

予約したのは芥川賞受賞まもなく。

 

図書館の予約待ちは予想通りの長期戦で

1年くらい待っただろうか。

もうすっかり予約したのを忘れたころに

「図書確保」のメールが届いて、読みたい熱も冷めている状態で手元にくるという。

やはり「読みたい熱」があるときに読み始めないと

読書って難しいよなぁと最近は感じ始めている(なんのこっちゃ)。

 

てなわけで、もう何度目か後の受賞者が発表されたというのに

読書感想メモ。

 

いやあ、超よかったっす。

 

この一言に尽きる。

文学なのか、ギャグなのか、

生きにくい人間の多様性をつづったルポ(Eテレ風)なのか・・・

なんてことはこの際どうでもよろしい。

小説のモデルが作者なのか、そうでないのかもどうでもよろしい。

コンビニが抱えるSFチックなところをうまく生かしているなぁと感心する。

 

コンビニの

異常な清潔さ(おにぎりは超清潔に作成されるとか)

常連客でもいつもクールに接客される感じ(世間話御法度みたいな)や

マニュアル化が進んで働く人がロボットっぽいところとか

がどうしてもSF小説を連想させるのだけど、

どれも自分が知っているコンビニの話であるというのがポイント。

だから「今」の日本のコンビニの様を知っている人でないと

面白さは理解できないと思う。

(例えるならば、日本のコンビニ文化がない国の言葉に翻訳されて

その地で出版されてもこの本の良さ全ては伝えられないだろう)

だから、何十年経っても読み返される本なのかはわからない。

 

高校のころ読んだ「明治大正期の文学」にも

「今はそんな時代じゃないから何言ってんだ?」というポイントと

時代を超えて共感する感情や思いもあるわけなので、

文学って広いなとは思うのだけど。

 

ただ、「コンビニ人間」には今の時代の息苦しさと

時代に関係なく「まわりに対してうまく振舞えない」人間のぎこちなさのバランスが

いいなと思う。

 

読書後、ネットでレビューを探してみると結構あるのね。

試しに読むと面白ポイントがまとまられていたので貼っておく。

blogos.com

てんさい糖その後

どうもコクが足りないというか、うすぼんやりとした感じになってしまい

こりゃだめだと。

 

ヒヤリハット対策での色付き砂糖導入なので、上白糖に戻すのではなく

三温糖にしてみた。

 

日新製糖 三温糖 1kg

日新製糖 三温糖 1kg

 

 

こっちだと煮物系のこくがしっかりでていい感じ。

さて、残ったてんさい糖はちびちび消費することにしよう。

てんさい糖にしてみた

キッチンで使っている砂糖を上白糖からてんさい糖に変えた。

 

なんだか意識高い主婦っぽなとか、えへへと思いつつ

実際には

「砂糖と塩の間違い防止」

という理由だったりする。

 

結婚前も、結婚してからも、料理が超苦手だった私だけど

ここ数年はそこそこ料理をするようになり

自家製〇〇に挑戦したり(梅干し、塩ラッキョウ、漬物、ポン酢など)

お惣菜系もレシピ集を参考に作ったり。

そんな中、先日初めて砂糖と塩を間違えて使うという失態をしてしまった。

(実際にはすぐ気づいて修正できたので実害はなかった)

 

そこで、ヒヤリハットから重大インシデントに発展する前に

可能な限りの対応策、と考えての(大げさ)色付きの砂糖導入なわけです。

 

私よりも便秘気味な夫のこともあって、オリゴ糖が含まれる

てんさい糖はどうかな?と。

あとは原料がサトウキビじゃない砂糖っていうのに

興味があったというのもある。

(決してサトウキビは体を冷やすから悪とかそういう思想ではない)

 

まだ違いはわからない。

敏感な味覚をもっていないのでそんなもん?

味噌とか醤油はメーカー変えるとすぐわかるんだけど

砂糖ってわかりにくいのか?

しばらくは砂糖の違いを意識した料理になりそうだわ。