平気といったばかりなのに

ちょっと心乱れる出産ネタ。

 

大学の同級生が出産したと、出産報告はがきが。

私は浪人、彼女は現役合格なので2歳違うのだけど。

 

そうか。

40過ぎての初産。

いいなーと、いいなーと、いいなーばかり。

 

産後体が大変だろうとか、これから育児かぁとか

思うことはぼんやりもやもやしていて、

とてもじゃないが、お家にお祝い持っていく気力がわかない。

Yahoo知恵袋で検索したら、ママさんたちの本音(多分)

はお祝いに来てもらうのは面倒とあったので

その噂に従い駆けつけるのはやめようと思ってる。

妊娠・出産系TVはもう平気になってきたらしい

NHKの「透明なゆりかご」

www.nhk.or.jp

なんとなく視聴は避けていたのだけど、たまたま深夜の再放送で見てしまいその後も深夜再放送で見続け、気づけば普通にみられるようになった私。

きっとよくある「出産=しあわせ」系だったらこうはうまくいかなかったんだろう。

幸せと隣り合わせの不安とか事故とか、いろんなものたちも含まれているから

私みたいなひねくれものでも見られるんだろうな。

 

先月だったかな?

NHKの同じく深夜の再放送で、ドキュメンタリー版の透明なゆりかごもみた。

www.nhk.or.jp

これはドラマとは別の番組で、都内の産婦人科でいろんな患者さんの診察風景を

とらせてもらった番組で。

途中、稽留流産された女性が映る。

先生の歯切れの悪い感じの話し方、それでも淡々と話す感じ、話す文言。

自分の過去の診察時のことを思い出す。

そして一番最初に思ったのが「私がかかった病院と違っても、こういう感じなんだな」

だった。

 

なんだか過去の自分をみているような、デジャブ感もあるけど

どこかで「私がかかった医者が割とドライだからあんな感じだったのか?」

とかほんの少し、当時思って

「近所の優しいお医者さんがいる産婦人科だったらもうちょっと優しくされたんじゃないか?」とか思っていた。

不妊治療専門クリニックで、毎日500人とか患者が押し掛けるクリニックだったから

普通に考えて毎日何人も「稽留流産」の診断は出てるんじゃないかと思う。

(その代わり毎日何人も、妊娠継続できて「卒業」として一般の病院へ紹介状もらってる患者もいるんだけど)

だから、そこに勤める医者はほかより一層ドライで、私に優しい言葉をかけてくれないんだろうと。

 

でも、どうやら違ったようだ。

その病院(産婦人科としてはそんなに小さくもなさそうだけど、まちの産科って感じ)でも言われること、声の感じはほぼ一緒だった。

そして、当事者ではない私がTV番組としてみている分には

医者は十分に気遣い、患者と向き合っているわけで、

これ以上のことを医者に求めるのは違うよなぁ、と。

過去の自分を冷静に思い返せたのはこれからの自分の人生にとって、よかったなと。

 

そんな「透明なゆりかご」ドラマ版。

昨日の放送では経済的理由で中絶した女性が、ほかの妊婦さんを突き飛ばしてしまうシーンが。

(経済的にも余裕ありそうなのに、仕事ばかりで妊娠をあまり喜んでない感じにむかついた)

 

ああいうの、心の中では思うよなぁと。

実際に行動として見えることはほとんどない(医療現場では時々ある話なのかもしれないけど)けど。

私も以前はおなか大きい人を見ると何とも言えない気持ちになった。

「いいな」ではなく「だめになればいいのに」とも思ったことあるし

「なんで無事生まれて来るって思えるの?能天気すぎる馬鹿じゃない?」とか

思うこともあった(安定期まえに妊娠報告きいたりとか)。

 

今は落ち着いてきたけど、それはたぶん、妊婦さん(や小さい子ども連れ)を見かけそうな場を意識的にさけているだけ。

 

土日のショッピングモールや、平日のスーパーには行かない。

スーパーはちょっと暗くなってからだと子どもが少ない。

今の職場は子ども関係ではないのでそれも気楽。

職場で孫がかわいいと話す祖母世代の人がいるけど、話だけならそんなに苦痛ではない。

 

日にち薬とはうまい言葉で、つらいなと思うポイントが以前よりはだいぶ減ってきている。

それでも、子ども相手の仕事に就く気にはまだならないけど。

それでもいつか、もっと気楽になれる日がくると今は思える。それだけでも進歩。

一番もったいないのは

職場で例のおばさまから

 

red-chair.hatenablog.com

 

またもや「こんな仕事じゃなくてちゃんとした仕事しなさいよ」

攻撃にあってげんなりする。

やんわり「これでいいんです」を言い続けても

「だめよ。もったいないじゃないあなたの学歴じゃあ」

と言い返されるやりとりが延々と続いて埒があかないので

「もったいないと思うのは人それぞれです。私はこれでいいんです。

もったいないと思う人がその仕事に就いたらいいんじゃないですか?」

と言ってしまった。

ああ、大人げない。

全然すっきりしないが、「もったない」発言が止んだので

まあしょうがない。

 

ちなみに現在の私。

もう「もったいない」も「こんな仕事でいいのか」もなくて、

そういえばそんなプライドみたいなの

10年くらい前には持ってたよなと思い出す。

でもその頃の私は全く幸せではなかった。

精神的にも体力的にもボロボロで

自ら死を選ぶことしか考えられなくて

めちゃめちゃどん底だった記憶しかない。

 

一番もったいないのは

外で働かないことでも、資格をいかさないことでも

子どもを産まないことでもない気がする。

ひとり絶望して命を絶つことが一番もったいないと思ってる。

それ以外の事は後々いくらでもリカバリーできるし

そもそも、本当にお金を稼ぐことが

もしくは労働する時間が長いことが

社会的な所属先(有名企業に勤める等)があることが

たった一つの正解ではないだろうとおもってる。

 

友達がいるとかいないもあんまり関係ないのかも・・・とも思う。

海外ドラマ「The Good Wife」でウィル(弁護士男)のセリフで印象的なのがあって。

 

「友達が必要な場面は人生に3つだけ。

1つは結婚式、2つめは葬式、3つめは裁判」

 

もう私は結婚してしまった(式はあげてないけど)し、

葬式するときはもう私はもう死んでるのだからどうでもいいし(笑)

裁判沙汰にすらならなければ、友達っていらないんだ

と思うと、気が楽になる。

 

まあパートのおばちゃんに私のもろもろをわかってほしいなんて

本気では考えてないのだけど

結構粘着質で対応が面倒なのでなんとかならんかねー

とは考えてる。

うーーむ。

CATVを解約してHuluへ

今の住まいに越してきて7年。

よくわからないまま、マンションに引かれているJCOMを契約していた。

これ経由じゃないとBSをみることができない(アンテナ立ってない)

と思い込んでいて。

 

ところが、夫がTVまわりのケーブルをつなぎなおすと

あらまあ、JCOMのチューナー通さなくともみれるじゃない、と。

 

最近めっきりJCOM内のチャンネルで見たい映画ドラマが減ったこともあり

思い切って解約することに。

もともとNetflixは夫が契約して海外ドラマを見ていたこと、

Amazonプライムも加入済みなので、

これらでメジャーな映画ドラマはみれるじゃん!と。

それでも流行に流されまくり、Huluに「ミスシャーロック」

目当てで加入してみたり。

それでもぜーんぶ合わせてもJCOMより全然安い。

いやー、今まで無駄遣いしてたなぁ。

 

Huluはオリジナルコンテンツ少ないので、近いうちに解約しそうだけど。

 

ドサクサに紛れてwowowも解約しちゃったのだけど、

ここ数か月、連続ドラマWくらいしかみていなかったので

しょうがない。

 

WRC放送はJSports3で見ていたのをレッドブルTVに切り替えた。

英語放送だからインタビューとかわからない箇所多数だけど

レース映像自体は量が多いので楽しい。

 

というわけで、地上波のTVを無駄にだらだら見る生活からちょぴっと離れて

海外ドラマ一気見・・・みたいな生活中。

 

今のところのドラマ感想メモ

Netflix「13の理由」

5話で脱落。

私には高校生のいじめ問題はどうでもよかった(笑)。

 

Hulu「代償」

小栗旬がかっこいい。

どんでん返しがどこかにあるんでは?と恐々しながら視聴。

結果的に驚くようなどんでん返しもなく、ちょっと拍子抜け。

でも小栗旬がかっこいいから許す(笑)。

ちょっとテイストが映画「ミュージアム」っぽいかも。

虐待とかマタハラとか保育園とか

ここ最近はニュースは朝のみTVでという生活。

昼はパートに出かけたり、

夜はドラマ(Netflixやらhulu)をだーっとみているので。

 

TVニュースでは児童虐待や保育園の待機問題などが

ここんところ続いている。

(私が見ているチャンネル限定かもしれない)

 

子どもがいない人生を受け入れもうすぐ1年。

大波小波の気分もだんだん小波が多くなり

無意識に波立つニュースは避けるように過ごしているせいだと思う。

 

この前たまたま昼食時、TVニュース(ワイドショー)をつけたら

司会者が声を詰まらせながらこどもの虐待死のニュースを取り上げていた。

私はとっさに「勘弁してくれよ」と思ってチャンネルを変えてしまった。

一人っきり過ごす自宅で、TVを見ながら、口に出して「勘弁してくれよ」

とは言ってないかもしれないが、大きなため息をついたのは自覚している。

 

↑この様は

もし自宅に監視カメラが付いていて、その映像をだれかが見ていたとしたら

限りなく「人でなし」だろうな、と思う。

いや、誰も見ていなくても、結構ひどいなぁとため息をつきながら

自分でも思っていたような気もする。

 

虐待ニュースをみて「ひどい親だ」とか「親になっちゃいけない人間もいる」

とか「児童相談所なにやってんだ」とかTVでは盛り上がってるのかもしれない。

きっとネットの世界ではもっと盛り上がってるんだろう。

でもなんか、もう、私は自分が親になるのをあきらめてから

そういう議論とは距離を置き始めたことを自覚している。

きっと「親になったことない人にはわからないわよ」

と、いわれた記憶が

(それが誰に言われたのか夢の中の出来事なのか曖昧なのだけど)

どこかに強烈にあって、なるべくそういう話には関わらないように

自分を守っているんだと。

当面は(1年なのか10年なのかはわからないけど)

それでもいいんじゃないかと思う。

 

だって、本当に子どもいないし。

だから子どもが自分より本当に大事なのか

(親ってものは自分より子どもを優先するのが正しいというような流れ)

もあんまりよくわかってない。

もちろん学校で教育受けてきてるので、弱いものを守ろうとか

助け合いとかそういう道徳的な気持ちはわかるんだけど。

 

わからないものはわからない、と認める。

今の私にあるのはそこまで。

無理に分かった気にならない、それもまた勇気と呼んでもいいのだろうか?

 

それにしてもTVコメンテーターたちは揃って

涙を流さんばかりの悲しみをたたえて虐待事件を取り上げていて

ああ、世の中の多数派は結婚して子どもがいて、

虐げられている子どもに涙を流すもんなんだなぁ

なんて(子がなくとも涙を流す人が単に多数派なだけなんだろうけど)。

 

 

ちょっと前になるけど、鼻水やくしゃみがとまらなくて

平日午後に耳鼻咽喉科にかかった。

病院は子どもで大賑わいで、でも最近の子はしつけがしっかりされているのか

待合室で走り回るとかそういうことはあまりなくて

(多少大きめの声でしゃべるとか子どもらしいポイントは残っていた)

へえと思いながらの病院滞在。

で、みんなお支払いなしなのね。

おおっ、と思ったわ。

これが世にいう「子ども医療費無料」ってやつかって。

こちらは診察室の椅子に座って30秒、

プラス血液検査(アレルギーテスト)で5000円。

病院にとっては患者が払うか自治体から入るかの違いで

どっちにせよお金は入るからおなじなんだろうけど

なんか複雑な気持ち。

(いや、そんな気持ちになるほど納税してないよ、私)

 

不妊治療の補助金は結局一円ももらえなかった。

そんなことを、思い出してしまう。

自分にかけてもらったお金はもっと昔、小さかったころから

大学まであったわけで、教育という切り口で考えても

十分私も恩恵を受けてるのに、つまんないところで

いいなーなんて、ダサいなぁと大分たってから気づいた。

 

やはりまだまだ子ども関連からは距離をとったほうが

気持ちの上でよさそうだなと思う。

 

パート先では

土日シフトばかり回される子なし VS 土日は無理なママさん

の微妙な争いが見えてきて、面倒くさい。

虫の居所が悪いと私も言わなくていいこと言ってしまいそうで

なるべく争いとは距離をとってるけど、どうなることやら。

 

オバさまたちは他人の人生に口出しするのが基本なんだろうか

パート先で。

 

前回「子どもは出来なかったのか作らなかったのか」

を聞いてきたオバさまじゃないオバさまから

私の学歴から経歴、びっくりするくらい質問攻めにあう。

 

そんなにパート仲間の人生って気になるもの?

私は他人には興味ない性格なのか、

中卒だろうと院卒だろうとどうでもいいと思うんだけど。。。

 

面倒なので本当のことを話すと

「こんな仕事じゃない、ちゃんとした仕事した方がいい」

とか説教っぽくなってげんなり。

 

私は時間で給料がもらえて、近所のパートというのが

自分にあってていいと思ってるのに

何故にそれほど自分たちの今の職場を下げるのか判らない。

 

もう私も人生折り返して、他人の評価は気にしないようにしているけど

やっぱりそういう風に言われるんだなぁ

と、ぐったりしてしまう。

(ちなみに図太くなったので、意見を聞いて路線変更はする気はさらさらない)

 

きっと、自分の子ども(娘さんがいて孫も複数いるらしい)

にもあれこれいう性格なんだろうなあ。

 

ちょっと抱えてしまった嫌な気持ちは

お風呂にはいってぜーんぶ流してしまおう。

明日はパート休みだし、大丈夫。

どこにでも神経ふとめな人はいるわけで

パート先ではあまり雑談タイムもなく

黙々と仕事をこなしているのだけど、

覚悟はしていたものの、とうとう禁断の質問

「子どもは出来なかったの?つくらなかったの?」

が突然やってきた。

 

いやあ、いるのね、面と向かって聞く人って。

びっくりと、まじか(笑)と、

まあそうよねと、これまでずっと我慢していたのか?とか

いろんな気持ちがよぎる。

 

この質問は仕事始めたらすぐ聞かれることを予想していたのに

今の時代、そうナイーブな言葉を発する人は意外と多くなかったのか

仕事を始めて1か月以上たつまで言われなかったのです。

 

当初、いつかは聞かれるんじゃないかと思っていたので

ぼんやり逃げる(ええ、とか、まあとか、ふんわりと)

か、正面から受けて立つのか考えていた。

でも結局どうこたえるのが、所詮パート同士の人間関係では

無難なのかがよくわからなくて。

実際働き始めると、お互いのプライベートを話す機会はないし、

デスクワークでもないから仕事をしながらおしゃべりをする

という環境でもなく、心配は杞憂に終わったと思っていた。

 

で、いきなり勤務終わりのロッカー室でおばちゃんに

「子どもできなかったの?つくらなかったの?」

を聞かれた。

 

すっかり油断していた私はおもわず

本当のことをするりとしゃべってしまった。

あーあ。

ミステリアスな40代女性路線はもう無理か(笑)。

 

私の年齢だと小中学生の子どもがいることが多いので、

「数年前に病気(または事故)で子どもを亡くしたんです」

とかそういうストーリーもいいかなぁ

なんて妄想していたんだけど。

(そうしたら二度と子どもの話を振られなくて楽かな?とか)

さすがに悪趣味だな、とは思ってやってないが。

 

子どもがいて、さらに孫もいるくらいのパートのおばさんたち。

そういう人に限って私の事情を話すと

「子どもだけが幸せじゃないもんね」

「夫婦二人で旅行とかできていいでしょ」

というパターン。

これは以前にもご近所で味わったものと全く同じで

どこかで定型文を公開しているのか?と思ってしまうくらい。

どうせ話を広げられないんだし、聞いてどうしたかったのか謎。

 

一人のおばさんに私の子ども事情が伝わったので

そのうち職場のパートさん全員に拡散するんだろうな。

どういう順番で伝播するのか楽しみだわ、と企むあたり私も悪い奴。