子どもとファミコンの違い
子どものころ、我が家には当時どの家にもたいていあったファミコンが無かった。
放課後、友達と遊ぶというと「誰かの家でファミコン」という時代が始まったころの話。
人気のゲームを買った子の家に行ったり、新しいソフトを買ったといっては持ち寄ったりというのが普通になったため、ゲームを持ってないというのはとてもとても少数派だった。
小学生ながらに「恥ずかしい」とか、「ゲーム持ってないのに遊びに行って申し訳ない」とかそういう気持ちが大きくて、案外「家にあったらもっとたくさんの時間遊べるのに」というような気持ちは少なかったように思う。
ファミコン問題は、結構長く続いたけれど、最終的には我が家にもファミコンはやってきた。弟がいて私の何倍も欲しがっていたし、親もいい加減時代の流れだし・・・と諦めたのだろう。
自宅にファミコンがきて、友人を自宅に呼んで遊んだかどうかは覚えていない。
手持ちのソフトが特別多かったとか、みんなにうらやましがられるソフトをそろえたという記憶もない。中学に入るころには全くファミコンをしなくなったと思うし、今40歳を過ぎて思い返すと「ファミコンが無くて欲しかった」という方の思い出ばかりよみがえる。
両親がファミコンを買ってくれなかった理由は金銭的なものだ。
我が家は全然余裕がない生活だったし、ファミコンを買うお金があったらごはんのおかずを買いたかったんじゃないかと思う。
それはすごくまっとうな話で、今振り返ると別に何とも思わない、笑い話程度のことなのだけど、不妊治療をしていると時々このことを考えてしまう。
欲しくて欲しくて、手に入らない何か。
周りのひとは苦も無く手に入れているものが、自分には手に入らない。
手に入ってしまえば、案外有難味は下がるんだろうか・・・
いや、ファミコンと子どもを同列に扱うってどうなのよ?
という突っ込みを自分にしながら、ちょっと長めに息を吐く。