素直に、静かに感謝
去年初めて妊娠した。
高齢だしと極々限られた人にだけ報告していたけれども結果的には流産した。
自分なりに早まらないように、心拍確認できるまで待って報告したつもり。
今思えば安定期と呼ばるころまでは夫以外の人に言わない方がよかったのではないかとおもうのだけど、初めての妊娠だったし、落ち着こうと思いつつはしゃいでいたのだと思う。
それぞれの両親に電話で報告したのが7週で心拍確認できた後。
その時には出産予定日も医師から教えてもらい、その日を毎日待ち遠しく思って過ごしていた。
予定日は今年の5月だった。
暖かくなって、ちょうどいいころだよねなんて母と電話で話したのを覚えている。
それから2週後の健診で、心拍が停止していることが分かり、
バタバタといろんな手続きやら診察やら、決断と行動の日々だった。
手術を受けて、1か月くらいは私の気持ちの揺れがあって
1度だけ母に電話をして泣いてしまった。
泣かれた母もつらかっただろう・・・と今となっては思う。
何を言っても、適切な励ましなんて存在しなかっただろうし、実際母はただ黙って私が電話口で泣いているのを聞いてくれただけだった。
それきり、母とは子どもの話はしていない。
悲しいとか淋しいとかもそうだし、その後の体調がいいとか悪いとかさえも。
私も気持ちが落ち着いて「こういう話は言われた方も困るよな」と思えたから
忘れたわけでもないし、無かったことにもならないけど触れないようにしている。
もう妊婦さんを見かけても気持ちがざわつく回数も激減した。
(それでもマレに揺れる日もある)
だから、仲良しの親戚が3人目を妊娠していると聞いても平気だった。
知らない妊婦さんを見かけて私の虫の居所が悪い日に心の中で悪態をつくことはあっても、親戚が妊娠したというニュースでは平気だった。
それから数か月たち、出産したというメールと写真が送られてきた。
まあまあ平気だった。
夫と母にも「赤ちゃん生まれたんだって」とメールで連絡した。
夫から「めでたい」と1行返信。
母からは特になし。
その後、母と別件で電話した時にも、夫が帰宅した時にも赤ちゃんの話はでていない。
しばらくそのことに気づかなかった。
数日たった今日、あっ、と気づいた私。
多分それぞれに、私のことを思ってくれて敢えてこうしてくれてるのかもと。
(偶然かもしれないのだけど)
人は、見えるもの、聞こえることには気づく。
でも見えないようにしてくれたこと、聞こえないようにしてくれたことには気づきにくいよなぁと思った。
誰かが出産して家族が増えたというニュース。
いいなと思うことも多い。
でもちょっと立ち止まる。
じゃあこの子を差し上げますと言われたらもらいたいのか?と。
よそのお宅に子どもが生まれたせいで我が家に生まれなかったわけでもないしな、と。
20代の敢えて子どもを持たない生活をしていたころ、ぼんやりと
「外国では養子という選択もあるというしな」
なんてカッコつけていたあの頃。
まさか十数年経って自分と夫の組み合わせの子どもじゃないならいいや
と思うとは、想像してなかっただろう。
人は変わらないなんてよく言うけれども、私はその逆だと思う。
簡単に考えを変えるのが人間。自分の薄っぺらさにちょっと笑ってしまう。
そして、そんな薄っぺらい自分に子どもネタを触れないでくれた人たちに感謝する。