比較できないことはたくさんある
ドキュメンタリー番組を見るのが好きだ。
最近はTVでドキュメンタリーといえばNHK系(NHKスペシャルやETV特集など)が多いが、割とマメに民放のドキュメンタリーも深夜放送になるけどチェックしている。
年に数本、ノックアウトされるような番組と出会う。
2年くらい前に放送されたサリドマイド被害者の番組(薬禍の歳月)は
特に忘れられなかった。
去年と今年、それぞれにドキュメンタリーの賞をとったということで
数日前にNHKのBSで再放送されていたのをまた見てしまった(多分5回くらい見ている)。
最近は障碍者を扱った番組は、ともすると「感動ポルノ」と馬鹿にされたりする。
私がこの番組をみて、打ちのめされるのは感動ポルノから来る何かなのか?
とか考えてしまう。
サリドマイド被害者の方々が顔も名前も障害がある体も、全部さらけ出して語る。
今までの苦労、苦しみ、その中に見つけた希望…。
それらを見て「かわいそう」だとか「私は五体満足なのだからもっと頑張ろう」
だなんて全く考えなかった。
私が思ったのは
「つらいとか幸せとかって比べられないことなんだよなぁ」という
文字にしてしまうとぼんやりと、ポエムみたいなものになってしまうのだけど
文才のない私にはこれ以上の言い方は見つからず(残念)。
私の幸せと、私の親の幸せは多分違うだろう。
70歳と40歳(ざっくりとした年齢)では状況が違い過ぎるから
親(70歳)は預金残高だったり、健康状態とか大事だろう。
私(40歳)は妊娠出産できるかどうかが最大の関心事。
でも私と同い年の女性でもシングルマザーの友人はお金が一番だといっていたし、
数年前にがんで亡くなった友人は小さな子どもを残していったので、きっとお金よりも命・健康がほしいと思っていたんじゃないかと想像する。
見る人によっては、私は恵まれていて幸せだと言えるだろう。
けど、私はやっぱり「幸せ」と言い切るには満たされていない部分もあって
でもそんなことを説明しても「ぜいたくだ」と言われるのがちょっと怖い。
自分が幸せか不幸かを決めるのは自分だという、当たり前のことを
心ではわかっていても時々迷う。
でもそのことを、サリドマイド被害者たちは淡々と語る。
その姿はカッコいいと思う。
そしてカッコいいと思う被害者の方たちが、そこに至るまでの気持ちの上下、
葛藤と戦いと、割り切りに思いをはせる。
先月、先々月と不妊治療はうまく進んでいない。
時々やけになって、大体は淡々と過ごし、マレに希望を持つ日々は
終了期限を作ることで何とか耐えることができているように思う。
そう考えると20代など若いカップルで不妊治療している人は私よりもしんどいのかもしれないなぁとか(それまでは若いんだからきっとすぐ出来るよなんて羨んでいた)
なんとか期限内はお金の心配をしないで治療に専念できそうなのは
すごくラッキーなんだよなとか、そういうことを考えたりする。
でも個別の項目に対しては比較できても、
トータルで幸・不幸の比較できないのは事実で
そう思ったら、そもそも誰かと何かを比較できるってすごく限られた物事にしか当てはまらないんだなぁ
なんて、中学生でも知ってそうな当たり前なことに気づく40歳(正確には41)。