出産までたどり着かないなら同じ

週末の採卵は残念ながら採卵数ゼロと終わった。

卵胞2つとも針で刺すことはできたものの、ふたをあけてみると

中身は空だったようでゼロと。

 

以前採取直前に排卵してしまい、針を刺す直前のエコーで

排卵済みなので終了します」

と言われたことも

卵胞が1つしか育たなくて針を刺したものの空だったということもあった。

空かどうかの判定は厳密には難しく、

事前の血液検査などで明らかにホルモン値に異常があれば

医師から中止を言い渡されるという。

ただエコーで順調に大きくなって、ホルモン値が正常に遷移している場合

空かどうか判断は難しいのだと医師は言う。

 

初めて排卵済みになったときの呆然具合よりは

針がさせただけよかったようにも思うし、

でも2つあって両方空っていうのは、1つしかなくて空だったときより

なんだか地味にダメージはあって。

 

でもなぁと思う。

採取できたとして、2つ取れたとして、

ここから出産までのいろんなステップで私はつまずいてるんだよなぁと。

不妊治療していると、自然妊娠した人と違って小さな分岐で

進んだ止まったを意識させられる。

受精しなかった、分割停止してしまった、着床しなかった、

心拍が停止してしまった・・・などなど。

だから、たとえ2個取れたとしても

「ダメでした」と言われる時期がちょっと早いか遅いかなんじゃないか・・・

なんて思ったりもする。

 

たいていの場合、医師からは「誰が悪いとかではない」と慰められるけど

男性側に責任を感じるタイミングは少ない。

生物学的には女性側にも決定的な理由(原因)はないことが多いのだろうけど

どうしても私は自分のお腹から卵が取れないとき、

着床反応が出なかったり弱かったりするとき、

お腹のなかで心拍停止したとき、

私は自分以外に理由があると考えるのはけっこう難しい。

だから、数少ない「受精しなかったとき」や「分割停止したとき」には

ここぞとばかりに夫の方に原因を押し付けて考えてしまう。

本当のことはまだ今の技術ではわからないのをいいことに。

随分嫌な女だなと思う。

 

どのタイミングであっても

治療がそこで一旦止まるのは夫だってショックだろう。

それなりに「自分に原因があるかもしれない」と感じているときもあるだろう。

でも、私は自分のことばかり。

そして、「自然に子どもがいるひとはこんな気持ちを感じることなく

人生過ごせていいな」

なんて八つ当たり満点な考えが浮かんでしまう。

 

ちょっと苦しい気持ちもあるけど、振り返ると私の人生

人と違うことを選択してきた人生、ある意味私らしいのかもしれない

なんて。

うまく進まない人生っていうのは私らしいなぁと。

負け惜しみなのか事実なのかは謎だけど。