元旦に採卵

なんとなくカレンダーを眺めていて、

「もしかすると次回採卵は一月一日になるかも」

なんて思っていた。

でもなんとなく、そんな偶然あるわけない(根拠なし)なんて思ったり

していたのだけど、結局は1日に採卵となった。

通っている不妊治療専門病院は年中無休。

大晦日もお正月も関係なく

毎日患者のタイミングに合わせて採卵やら移植を行っている。

本当にありがたい。

 

採卵が決まり、採卵前日(大晦日)には除夜の鐘をききながら

ボルタレン座薬をいれ、

初日の出は首都高から眺める・・・とおもいきや

案外首都高走っているときには太陽は上らず、

西新宿のビル街に到着して空を見上げるともう太陽は上がっていた。

ビルのガラス窓に太陽が反射して「きれいだなー」とぼんやり思ったことは

きっとあと数年たったらすっかり忘れてしまうだろう。

でもせっかくだから脳内では「今年の初日の出は車で首都高」と置き換えている。

 

当初事前のエコーでは卵は1つの予想だったものの

ふたを開けてみると2つ成熟卵がとれ、ラッキー事象だな、うれしいな、

と思いつつもこんなところで運を使ってしまったーとか思ったり。

ちなみにその嬉しさは1日しか継続しなかったのだけど(残念)。

 

お昼には病院は終わって帰宅。

ようやく我が家のお正月がスタートしたのでした。

 

で、翌日の2日、受精確認の電話。

2つともここにてストップとのこと。

卵は一つは受精ならず、もう一つは異常受精。

ちなみに顕微授精にしてもらったので、なんとなく受精まではうまく進むと

勝手に思い込んでいたのでショック。

別に夫が悪かったとか、はっきり言われたわけではないし

多分突き詰めていくと私なのか夫なのかどちらが悪かったのかすら

分からないんだろうと思う。

でも前にも書いたことあるけれど、このタイミングでうまくいかないと

どうしても夫を責める気持ちが出てきてしまう。

卵が取れなかったとき、夫は一言も私を責めたことないのに。

 

小さい女だな、と自分に悪態つきたくなる。

そして「自然妊娠するひとはこんな気持ちを味わうことないんだろうな」

といつもの思考パターンにはまる。

年末はまった「逃げ恥」を思い出して

「ぼくたちは最初から普通じゃなかった」という星野源のセリフを思い出す。

私の人生も十分普通じゃなかったよなと気づいて「ならしょうがないか」なんて。

 

普通じゃない私は

15歳で親元を離れて高校生活をはじめ

18歳で合格した大学を「やっぱり行きたくない」と言って辞退し

浪人生活に突入するもなぜか浪人後成績がガタ落ちし

1浪で目標大学入学の予定が2浪となり

志望学部も変更し

憧れの大学生活はアパート暮らしではなく大学内にある安い寮

20代で結婚を考えるも「事実婚」にできないかかなりジタバタし

最終的に法律婚したけど式も披露宴もなにもしなかった。

母に懇願されて親族顔合わせ食事会の後、写真だけはとったけど普段着で。

 

まあ、こうして10代ー20代のキラキラぴちぴちのころでさえ

私は我が道をいくことを優先して生きてきたんだな。

皆と同じに地元の高校にいくとか

女だし、合格できた大学あるし、そこそこ嫌じゃないし、ここでいいやとか

みんなもするから結婚式しないと

とか無かったしな。

ありがたいことに親も今の夫も誰も私を

「もっとふつうにしなさい」と言わなかった。

私はそういう意味では幸せだったんだろうな。

だから、いまさら、41歳になって「ふつうになりたい」って・・・

どんだけ虫がいいんだ(爆)って話だよなぁ。

 

元気になるように、最近はやたらめったら犬の動画を見ている。

あー、もう人間の子でなくてもいいや、なんて。

あと1回採卵したら治療は終了予定。

誕生日は2月の終わりなのです。