人間悪い仮定ばかりしていると喜び方を忘れる?

先日、不妊治療の「胚盤胞凍結確認」をしたところ

最後の悪あがきなのか、1個凍結できたと。

 

若い健康な女性であっても、胚盤胞まで育つのは100%ではないらしい。

40歳過ぎると3割だとか、いやもっと低いとか

Net情報ではいろいろ言われている。

そんな中、なんとか2個の受精卵のうち1つが胚盤胞まで育って凍結できたのは

今までの自分の人生(不妊治療に限らず)で考えると珍しいな、なんて。

 

私の人生、いい方と悪い方の選択肢があった場合

たいていは悪い方になるというイメージがあった。

だから悲しまないように落ち込まないように

ずっと悪い結果が出た時のシミュレーションばかりしていた。

が、いざ病院に電話で確認

(この病院は受精確認と凍結確認はTELですることになっている)

して「凍結できました」と言われても、「はあ・・・」と間抜けな

返答しかできず。

 

心の中では「どうせお腹に戻せても着床しないだろう」とか

「着床しても流産してしまうんだろう」とか

まあ、自信のなさもここまでくると馬鹿っぽいなとか

これが親友だったら「なに言ってるの、バカ!」と言って

頭をぽかんとたたくよな、とか、思ってしまう。

 

この自信のなさは、大学浪人中の気持ちによく似てる。

現役では大学合格したものの、「やっぱ行きたくない」と

超絶わがままを言って浪人した私は2度目の受験はチョロイと

どこかで思っていたんだろう。

センター試験で大コケし、泣こうが何しようがもうどうにもならず

可能な限りジタバタしたが、結局合格1校もなしという悲惨な1浪目。

それに反省した2浪目は反動からか、なにをするにも自信がなくて

そんな自信のなさは親にも伝わり、破れかぶれな滑り止めを多数作り

無駄なお金をばらまき続け、挙句その当時の第一志望に合格した(笑)。

 

不妊治療と大学受験ていうのは本来似てないはずなんだけどね。

センター試験(ここでつまずいたら修正不可という崖っぷち感)、

センター足切り(運なのか実力なのか謎な選別)にヒヤッとして

いよいよ2次試験(ここは実力なんだろうけど)。

でも大学も合格したら終わりではないように、

不妊治療も妊娠陽性でたら終わりじゃない

(そして未知の世界だけど産んで終わりでもないらしい)。

 

それにしても、去年初めて花粉症で薬を飲み始めたのだけど

今年、なるたけ早く卵を戻すならそんな季節になっちゃうな。

嬉しいことなのに困るっていうのは、やっぱり私の性格をよく表しているなぁ

なんて。

(花粉症の状況によっては何か月か遅らせることもできるので考えよう)

 

「凍結できたよ」という私のLINEにあっさりと「よかった」と答える夫は

どの程度喜んでいるのか。

私同様、喜ぶとその後にある悲しみが増えると

不安なのかもしれない。

 

今日は外は雪。

雪降る街(複数)で20年以上暮らしたのに、

年数回しか雪は降らない今の街にすっかり慣れ

「外は寒そうだから外出やめよ」

なんて思っている。

この街へ来たばかりのころは、冬なのに雪が無くて

コートの前を閉めなくても歩けるくらい暖かい冬が

「北海道の秋がずっと続くみたい」なんて思って味気なかったのに。

人間はやはり変わるもんだな。

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