最近みた映画たち(~8/21)
・葛城事件
・淵に立つ
・日本で一番悪い奴ら
ほかにもたぶん結構みた(CATVにて)だろうけど
メモってなくて思い出せず。
どの作品も、映画レビュー(各種メディア)ではそれなりに評価されている作品で
「淵に立つ」はカンヌで「ある視点」部門審査員賞などとってる。
「淵に立つ」は、あらすじを全く見ずに映画を見始めて、
あまりのかったるさに開始30分くらいで停止ボタンを押してしまった。
(録画してからゆっくり見る派)
たまたま夏休みで一緒に観ていた夫はそこでようやくあらすじサイトをチェックし始め
後半の嫌な展開を予習したために「僕はこの先見ない。君だけみたらいいよ」
といったという作品。
え?なんのことを言ってるのかさっぱり分からない?
(これは映画レビューではないし)
うん、そうね。
つまり「賞は取った作品だけど見ていて気分良くない作品だし、見る意味は人それぞれだけど、40代男性には感じられなかった(個人の感想)」という作品。
そうはいうものの、私(40代女性)は怖いもの見たさで夫不在時に続きをみた。
うーん、この映画をみる意味はあるのかないのか。
そういう話なんだろうか、とか、そもそもじゃあ映画って何のために観るのよとか
ハッピーな話だけ見てればいいというのもどうなのよ、とか、
でも救いあるのかい?とか
まあほんの少しの時間考えたけど、それより見終わった感想としては
自分の両親みてるみたいだったなぁと。
実家に帰省して「やっぱり私は実家でて正解」と毎回思うあの感じに似ている。
ちなみに両親は殺人事件に絡んだり(父)浮気したり(母)したという意味ではなくて、ちゃんと現実に向き合えないというか、いい大人な私(娘)からみると
随分子どもっぽい。
映画でいうところの
父が殺人事件に関与したと告白するタイミングでなぜか
足の爪を切りながら明後日の方向みてるとか
父友人に言い寄られて、はっきり態度を示せない(キスしちゃう)母とか
そんな母を勝手に「体の関係あったんだろう」と疑う父も
その質問にきっぱりと「違う」と言えずにいる母のことがなんとなく重なる。
生きてると、言葉がすべてではないのは分かる。
態度で示すだけでは足りないのもわかる。
でも、やっぱりちゃんと「言葉と態度で伝える」というのは
生きていく上では大事だとおもうんだよな。
あの映画をみて
「ああ、私の両親のダメな部分だけ強調したらこんなだわ」
と思ったわけで。
そういう意味では、現在の朝ドラ「ひよっこ」はちゃんと言葉と態度で示すあたり
さすがNHK(笑)。
そんな「ひよっこ」で先日じーんとしたセリフは
「親からなにかしてもらうことを期待しているのは子どもの証拠。
自分から親のことを考えて動く、親を許すそれが大人」
ってやつね。
うんうん頷きながら見る私。
そしてちょっと自分を振り返ってそういえばもう随分「親に何かしてもらう」
という期待とは縁ないなぁっていうことに気づく。
いやいや、朝ドラセリフからして
「40過ぎた人間が何甘ったれたこと考えてんだよ」と自分に突っ込んでみるものの
あまりちゃんとは「許せてない」のはまだ子どもなんだろうなぁ。
ただ、自分の腹の中では「ろくでもない人だよな」と悪態ついても
口に出さないようにしている(つもり)のはそれなりに頑張ってるつもり。