虐待とかマタハラとか保育園とか

ここ最近はニュースは朝のみTVでという生活。

昼はパートに出かけたり、

夜はドラマ(Netflixやらhulu)をだーっとみているので。

 

TVニュースでは児童虐待や保育園の待機問題などが

ここんところ続いている。

(私が見ているチャンネル限定かもしれない)

 

子どもがいない人生を受け入れもうすぐ1年。

大波小波の気分もだんだん小波が多くなり

無意識に波立つニュースは避けるように過ごしているせいだと思う。

 

この前たまたま昼食時、TVニュース(ワイドショー)をつけたら

司会者が声を詰まらせながらこどもの虐待死のニュースを取り上げていた。

私はとっさに「勘弁してくれよ」と思ってチャンネルを変えてしまった。

一人っきり過ごす自宅で、TVを見ながら、口に出して「勘弁してくれよ」

とは言ってないかもしれないが、大きなため息をついたのは自覚している。

 

↑この様は

もし自宅に監視カメラが付いていて、その映像をだれかが見ていたとしたら

限りなく「人でなし」だろうな、と思う。

いや、誰も見ていなくても、結構ひどいなぁとため息をつきながら

自分でも思っていたような気もする。

 

虐待ニュースをみて「ひどい親だ」とか「親になっちゃいけない人間もいる」

とか「児童相談所なにやってんだ」とかTVでは盛り上がってるのかもしれない。

きっとネットの世界ではもっと盛り上がってるんだろう。

でもなんか、もう、私は自分が親になるのをあきらめてから

そういう議論とは距離を置き始めたことを自覚している。

きっと「親になったことない人にはわからないわよ」

と、いわれた記憶が

(それが誰に言われたのか夢の中の出来事なのか曖昧なのだけど)

どこかに強烈にあって、なるべくそういう話には関わらないように

自分を守っているんだと。

当面は(1年なのか10年なのかはわからないけど)

それでもいいんじゃないかと思う。

 

だって、本当に子どもいないし。

だから子どもが自分より本当に大事なのか

(親ってものは自分より子どもを優先するのが正しいというような流れ)

もあんまりよくわかってない。

もちろん学校で教育受けてきてるので、弱いものを守ろうとか

助け合いとかそういう道徳的な気持ちはわかるんだけど。

 

わからないものはわからない、と認める。

今の私にあるのはそこまで。

無理に分かった気にならない、それもまた勇気と呼んでもいいのだろうか?

 

それにしてもTVコメンテーターたちは揃って

涙を流さんばかりの悲しみをたたえて虐待事件を取り上げていて

ああ、世の中の多数派は結婚して子どもがいて、

虐げられている子どもに涙を流すもんなんだなぁ

なんて(子がなくとも涙を流す人が単に多数派なだけなんだろうけど)。

 

 

ちょっと前になるけど、鼻水やくしゃみがとまらなくて

平日午後に耳鼻咽喉科にかかった。

病院は子どもで大賑わいで、でも最近の子はしつけがしっかりされているのか

待合室で走り回るとかそういうことはあまりなくて

(多少大きめの声でしゃべるとか子どもらしいポイントは残っていた)

へえと思いながらの病院滞在。

で、みんなお支払いなしなのね。

おおっ、と思ったわ。

これが世にいう「子ども医療費無料」ってやつかって。

こちらは診察室の椅子に座って30秒、

プラス血液検査(アレルギーテスト)で5000円。

病院にとっては患者が払うか自治体から入るかの違いで

どっちにせよお金は入るからおなじなんだろうけど

なんか複雑な気持ち。

(いや、そんな気持ちになるほど納税してないよ、私)

 

不妊治療の補助金は結局一円ももらえなかった。

そんなことを、思い出してしまう。

自分にかけてもらったお金はもっと昔、小さかったころから

大学まであったわけで、教育という切り口で考えても

十分私も恩恵を受けてるのに、つまんないところで

いいなーなんて、ダサいなぁと大分たってから気づいた。

 

やはりまだまだ子ども関連からは距離をとったほうが

気持ちの上でよさそうだなと思う。

 

パート先では

土日シフトばかり回される子なし VS 土日は無理なママさん

の微妙な争いが見えてきて、面倒くさい。

虫の居所が悪いと私も言わなくていいこと言ってしまいそうで

なるべく争いとは距離をとってるけど、どうなることやら。