長女活動の季節

年末年始は経験上、長女活動が一番盛んになる。

 

長女活動とは、主に母から

「あれどうしたらいい?」という連絡が電話なりメールなりできて

断るのも、この人に聞いたらいいよも、面倒くさくなって

「じゃあ私がやるから・・・」

の一言を私が発してしまう→作業すること全般を指すのだけど

ここ最近はPCの操作と年賀状作成を。

 

SkypeとTeamViewerを駆使してあれこれ。

年賀状なんて自分の分は印刷するのが面倒だから

少ない枚数でもわざわざ印刷屋さんに発注しているのに

実家の年賀状はフリーの画像ダウンロードして作成しているという謎。

 

高齢の親(主に母)は年々娘を頼りにするようになった気がする。

でもよーく考えたら、私が大学を卒業して働くようになったころにも

同じように頼られてる感があったので

20年くらい同じ強度で頼ってる可能性もある。

あの頃は年に何度か泊りがけで遊びに来て、一緒に出掛けたり

買いものしたり、食事するのがうれしそうだった。

友達母娘という言葉が流行ったころだろうか?)

私は急に距離が縮まって戸惑いと面倒くささと、

流行ってるしという気持ちにくらくらして

どうしていいかよくわからない時期だった。

 

それでも今は海を隔てた距離に住んでいるので

「いきなり来ちゃった」みたいな恐怖がない分優しくできる。

(人間、口だけなら優しくなれる というのを実感してる)

 

苦手な父とはSkype越しにちょっと声を聴くくらいがちょうどいい。

母からは体の不調、サークルの話、TVで地元が取り上げられた話、

父への不満などなどを1時間くらい聞いて、

PCのサポート(更新しろって画面でてるんだけどどうするの?とか)

して、だいたい長女活動は終わる。

多分長男活動はこんなではないだろう。

(弟は年1回帰省するルーチンなので、それが長男活動といえるが)

 

面倒だけど、何にも引継ぎなしに介護しろと突然言われるのも困るので

最近はこれも必要な作業と割り切る。

折に触れ加入している保険、預貯金、年金、ハンコなど聞きだす娘。

遺産を期待してるわけではない。(そもそも葬式代程度しかなさそう)

急に入院したとかそういうときに、なーんにもわからないというのは

こちらが困る。

そして、そういう困る感じは夫の両親のほうには十分発生しそうだ。

せめて、自分の親だけでも衝撃を和らげたいと

長女活動は大事な活動になってきたように思う。

TBSのドキュメンタリー「がんとネット」

録画していたドキュメンタリーを見る。

www.tbs.co.jp

 

最近病気(メインはがんだけどそれ以外の病気も)の

民間療法や自由診療的なものに対する批判・肯定の書物をよく読む。

比較的古い話だと近藤誠の「がんもどき」から

最近だと芸能人でがんで亡くなった方々が民間療法→悪化

という話で週刊誌やワイドショーで盛り上がっていたり。

私が好きな(ロシア語通訳・エッセイスト)米原万里さんも

がんで亡くなったのだけど

亡くなるちょっと前のエッセイで民間療法の誘惑と

効果がなかった時の絶望と、

その他もろもろを赤裸々につづっていたのを思い出す。

 

数年前に高校の同級生が乳がんで亡くなった。

彼女とは卒業以来会っていなくて、

だから闘病の話も本人からではなく別の同級生から聞いただけなので、

どこまで本当なのかはわからないのだけど

彼女も標準治療とよばれるもの以外にだいぶ頼ったらしい。

なんとか生活を立て直したいと思う気持ちはよくわかる。

以前自分が精神科にお世話になっていたころを思い出しても、

そして不妊治療にどっぷりつかったころを思い出しても、

いい結果がでるならお金なんてなんとかする・・・

と思えるものだから。

 

がん患者が「とんでも医療」にはまった結果の悲惨さは

どこか精神疾患患者のそれに近い。

がん患者の行き着く先が肉体の死であるように

精神疾患患者のそれは、精神の死だな、と。

 

それとは別次元なのが不妊治療の底なし沼。

がんの自由診療並みに恐ろしく高額で、国内がだめなら海外・・・

と、とどまるところを知らない。

がん治療で離婚はあまり聞かないが(私が知らないだけかも?)

不妊治療からの離婚は残念ながらまあ、ある。

やめ際、引き際、そういうものでその人が持つ価値観が出てしまうから。

今振り返っても、自分がよくその沼から出てこれたものだと

感心する(笑)。

 

最近、「がんもどき」近藤誠はアンチワクチンへ進出してきている。

ワクチン副作用の恐怖

ワクチン副作用の恐怖

 

 

子宮頸がんワクチンは国内ではネガティブイメージが浸透してしまったけど

欧米では打たないほうが虐待扱いされる国もあるとかないとか。

(海外ドラマでそんな描写をみて驚いた)

この騒動に関係した村中璃子さんが「ジョン・マドックス賞」

を受賞したのだけど、TVでも新聞でも(我が家は朝日)取り上げてないね。

www.j-cast.com

 

こういう情報操作みたいなことやってるから

「とんでも医療」なくならないんだよ、とつぶやく夜。

布巾迷走中

たまには家庭的な話を。

 

我が家は食器は手洗い派。

昔々、結婚当初のころ(厳密には入籍前だったかもしれないが)

ビルトインではない、卓上型というのか、

キッチンに置くタイプの食洗機は導入したのだけど、

転居に伴い夫の実家に預けてそのまま。

もうあれから10年くらいたったのか?

 

預けたきっかけは転居先のキッチンが狭かったのか

それともあまり食洗機を便利と感じられなかったのか、

今となっては思い出せないところに加齢を感じる。

夕食後に動かすと結構音がうるさかったとか

夫が適当に食器を入れてまわすとあまり量が入らないとか

食器についたかぴかぴの米粒は落ちないんだよなとか

てきとーに入れた食器(茶碗)とかが上向きで置かれてしまうと

乾燥後に蓋開けた時にたっぷり水を貯めた茶碗が登場、

がびーんとか。

なんだかこうやって思い出せることは99%ネガティブなもので

だからせっかく購入した家電だけど、使うのやめたんだったなと。

 

そんなわけで、今の時代でも食器は手洗い&布巾でふく。

ただし根がてきとーなので、自然乾燥できる限りはそうしている。

それでもやはり布巾は無いと不便だし毎日使うわけで。

ずっと布の、よくある感じのを使っていたのだけど

洗ったり乾かしたりが面倒に思っていて、

以前から気になっていた「使い捨て」に挑戦中。

まだ本格参戦ではなくて、期間限定。

ネット検索の結果

 

クレシア ワイプオール

 

 

スコッティ ファイン 洗って使えるペーパータオル

 

の2点で迷い、コスト面ではワイプオールの勝ちだったものの、

日用品を買いに出かけたお店でたまたま見つけたので

スコッティファインを試用中。

今のところ、なかなかいいよ。

布巾の洗濯をしなくていいのは思った以上にストレスがなくてGood。

あとはコストの問題。

結局1か月あたりどのくらいの金額を

使い捨て布巾に投入することになるんだろうか?

(200-300円くらいだと継続可能性UPかな)

介護問題と常識的な人間ってなによ?と考える

結婚しているので、面倒を見ないといけない高齢者は

夫側と私側それぞれ2名いるのだけど、

夫の妹は障害があるので親亡き後は私と夫で面倒をみないといけないことは

結婚前からわかっていたこと。

 

夫の両親はかなりユニークなひとたちで、

自営だったこともあるのか、社交的だし、

なにかお願いしてもNOということのない人だった。

(田舎の元気な社長さんというのが一番うまい例えだろうな)

 

そういう所を私は心地よく思っていたし

結婚後私の闘病中もプレッシャーをかけることなく

「まあ人生長いんだから焦らなくていいよ」という緩い感じで

サポートしてくれ、非常に助かった。

 

そんな夫両親なのだけど、年代的には珍しく義母は義父より9歳年上でもう70代後半。

ここ1年くらいでぐっと介護が現実となってきていて、

でも離れて暮らす(600km超えの距離)私たちには

できることはそんなに多くない。

 

今夏、夫と義父が電話で相談して私たちが住む地域に

家族で引っ越してくるということにまとまり、

夫はようやくほっとしていたのだけど、数か月後発言撤回する義父。

怒る夫。

(それなりの修羅場)

私もそれなりにがっくりきた。

 

夫の当初の計画

(これは結婚前からずっとゆるぎない計画で、

彼としてはこれができる範囲での精一杯と割り切って生きてきた。

障害あるきょうだいがいるというのはここまで人生考えて生きるんだな、

と感心すらしたのだけど)では

親が年をとって不自由になってきたら、

自分が親きょうだいの面倒みるしかないのだから、

近所に別居で(スープの冷めない距離ってやつ)やっていきたいと。

妹は最後は施設に入ってもらう。

どう考えても同じ屋根の下で暮らすのは無理だからと。

でもお金の面や、面会、その他必要あれば可能な限りのサポートはするつもり。

 

 

そういう話は20年くらい前から親たちとしていたのも知っている。

その時の義両親の反応はどうだったのか、今となってははっきり覚えていない自分に

がっくりする。

もしかするとこんな考えは夫の独りよがりで、親たちは

「そうは言っても実際には面倒みてもらうのは嫌だ」とか思って

「うーん」とか「まあその時に考えよう」とか

濁していたようにも今となっては思える。

 

さて、話を戻そう。

いよいよ介護問題を回避できなくなってきて、息子の近所へ引っ越してくる作戦は

拒否され、何もかも想定とは違う路線を突っ走り始めた義両親。

ご立腹な息子(夫)と、それに同調する嫁(私)。

 

ただ私としては腹が立つとかより、

面倒なことになったなぁという感じのほうが強くて、

特にこれから両親が亡くなるのは時間の問題なので

(それが1年なのか30年なのかは置いておいて)

順番からして残されるであろう義妹のことはどうするのよ・・・と考えてしまい

つい「普通の障害ある子をもつ親って、親なきあとの子の居場所って早めに確保するもんじゃないの?」と言いそうになる。

いや、夫には思わず言ってしまった(さすがに義父にはいってない)。

そうしてその言葉の強さというか、切れ味というか、我ながらひどい言い方してしまったなぁと反省した。

 

もちろん、世間一般では「障害ある子の老後」というか、親なき後の人生について

考えておくのは当たり前なんだろう。

親として、できる限り自分亡き後もなるべくその子らしく生きられる道を

用意してあげたいとかあるだろう。

でも、義両親はその後の居場所(施設だとかグループホームなど)の予約

は結局していない。

今、日中通っている施設

(上にも書いたが、そこは私たちの住まいから600km以上の距離)

に入居させたいのか、それとも別のグループホームなのか、

もっと言えば両親が無くなって血縁が兄だけになった時に

兄が気軽に会いに行ける距離(の施設)に住むのかどうかさえ決まっていない。

 

本当になーんにも決まっていない。

義母の認知症はだんだん進んできている。

今では義母は家事はできず、入浴も一人ではあぶないので家族が入れていると

電話できいた。

ちょっとずつ、自分の今後に不安を感じている義父。

それでも息子のサポートは拒む。

なんとかこの地で頑張りたいと。

その気持ちは分からないでもない。

ただの老人二人だったら、勝手にすればいいで済む。

けれど、義妹はどうなるのか。

 

両親亡き後、親戚も誰もいない今住んでいる地域の障碍者施設に入るのがいいのか?

時々面会に行くにも新幹線など乗り継ぎで5時間くらいかかるその地が

本当にいいのか?

何かあったら、なにもなくとも季節の行事ごとに面会や外泊で行き来しやすい

私たちが住む地域の施設に入るほうが安心と思う兄(とその配偶者)

の考えは浅はかなのか?

 

そんなことをぐるぐる考える。

 

そうだな。彼ら(義両親)は一般的なメジャーではかると

そもそも常識的なひとではなかったわけだ。

だから、いまさら私が「非常識だ」と怒った所で「だから何?」

なんだよな。

それに助けられたことも多々あったわけだし

(結婚式しないとか、入籍前に同棲したいとか、

精神科に入院した嫁を拒絶しないとか)

ここはぐっとこらえて、しなやかに対応するのが自分にとって

一番エネルギーロスが少ないんだろうなと思い始めている。

 

何かあった時に動けるように、知識とお金、車の運転技術と健康が私の武器。

さ、元気出していこー。

選ばなかった方の人生

全然ヒットしなかった映画でも、妙に自分にハマるものってある。

「すーちゃんまいちゃんさわこさん」はまさに私にとってそんな作品。

 

いくつかのシーンやセリフを時折思い出してしまうのだけど

まいちゃん(真木よう子)の

「選ばなかった方の人生も、ありだったんじゃないかって思う」

が今日久しぶりによみがえる。

 

新聞に載ってた子殺しの記事。

digital.asahi.com

 

もちろん痛ましいとか悲しいとか、思うところはあるけど

自分にとっての「選ばなかった方の人生」に思えてゾッとした。

ああ、病気療養中焦ってもしくは一時の油断で子ども産んでいたら

この記事は私だったんだな、と。

 

まだ子どものいない人生に納得していない部分はある。

なんで2回も流産したんだろうとか、

原因探るにももう若くないし意味ないと諦めた。

そしてそれと同時に「病気療養中でも出産していたら…」

と思う事もあった。

でも、きっと、そうじゃないんだとこの記事でハッキリした。

自分が死ぬ事しか考えてなかったあの時に出産しなかったのは

今振りかえって考えてもやはり正しかったのだと。 

 

先日夫が夕飯食べながら

「君の作るご飯はおいしいね。あの時(病気)にはこんな日が来ると想像してなかった」みたいなことを話したのだけど、その言葉が 当時側にいる家族の大変さを表しているように思う。

子どもは結局いない。二人の人生。

でもこうして元気に食事して旅行も出来て、

朝が来るのが怖くないのはただただ幸せだなと。   

 

ただそれだけ。

マイル失効しちゃうから旅行しよう

夫がANAマイル貯めていて、貯めるばかりで使うチャンスがないまま

ずるずる来ていて、とうとう年末だかに失効してしまう

となったため博多食い倒れ旅に行ってきた。

本当はマイルで海外に行きたいとかそれなりに考えはあったのだけど、

夏に妊娠→残念な結果となったり

ほぼ同時期に夫の転職があったり(今は新しい会社)

で、海外に行くのは日程的に微妙になってきたため

国内で効率よく楽しめるところに行こうとなって検討した結果の博多。

 

ちょうど11月の3連休、日本シリーズソフトバンク盛り上がり中の博多。

結果として、滞在中に優勝となりえらい盛り上がる中、

粛々とガイドブックに載ってるグルメポイントを攻め

お腹いっぱいで帰ってきた。

いやぁ、おいしかった。

すっかりお酒飲まなくなった私は、最初のビール1杯で十分。

若いころは何軒もはしごして飲み明かしたはずなのに

加齢は恐ろしい(笑)。

でもしっかり食べるのは忘れない。

 

そんな博多旅。

ガイドブックや友人(九州在住)の勧めもあり糸島も観光してきた。

レンタカーがあると便利ということで、レンタカー借りて

最近ペーパードライバー脱出した私も運転してみた。

自分ちの車(SUVのAT)以外を運転するなんて、

免許取りたてで実家の車(MT軽)を運転して以来。

それって20年以上前か。坂道発進のトラウマしかないのだけど。

 

そんな私でもレンタカー(トヨタ・アクア)はちょっと楽しかった。

車幅はコンパクトだし、バックモニターは超親切だし。

へー、ショッピングセンターとかでよく見るアクアってこんななんだぁ、と。

ただ、夫は運転している間ずっと「うちのSUVのほうが全然いいなぁ」

と言ってた。そりゃそうだ、値段ちがうもんね。

でも燃費良くて半日運転してもガソリンほとんど減らなくてびっくり。

もし私が田舎の一人1台車必須な所(実家とかそんな感じ)に引っ越したら

こういう車とかいいなーなんて。

いやいや、アクアだってそれなりにお値段するはずだから、

中古の軽自動車とかが現実かもしれないけど。

 

博多旅行の思い出はそんなわけで、食べ物がおいしかった

(鯖、イカ、もつ鍋、一口餃子、屋台、うどん、ラーメン、蕎麦・・・)

のと、トヨタのアクアは燃費よくて小回り効いて運転しやすかった

というヘンテコなものでした。

蕎麦はここ。建物も素敵で美味しかった。

tabelog.com

 

次は高千穂とか別府とかへ行ってみたいなぁ

見たくないんだから見ない

秋ドラマが始まった。

TBS「コウノドリ」シーズン2ですってよ。

キャストが好きなのでちょっと(精神的に)無理して

第1話を録画視聴したものの、

おもったよりも精神的にキツかった。

ああ、世の中的には「大変だけど、出産は幸せ」なんだなあと。

産後の不安もあるけど、時間をかけて受け入れられる現実と幸せ。

ってな感じの話で、子どもを持つ人達の感動を再認識できるドラマで。

 

いいんじゃない、とつとめて考えようとする。

私に子どもがいない理由と他の女性に子どもがいる理由は

1点の交わりもない。

そう理解していても苦しくなる。

「そうだ、見なけりゃいいじゃん。」

そうおもえるまで何日かかったことか。

今日の放送(第2話)から見ないことに決めた。

決めたらとても気持ちが楽になった。

 

誰かの出産感動話で勝手に傷ついていた自分。

そもそも傷つく必要ないと分かっていてもまだその辺の切り替えに慣れてない。

いつか「へー、すごい」とか単純な反応が出来る日がくるのをじっと待とう。

 

ちなみにこのドラマ、シーズン1の途中で1度目の流産、

今回放送前に2度目の流産。

そんな縁も勝手に感じて余計しんどいと勝手に思ってる。

 

こんなつまんないもやもや、誰にも話せないのがしんどいなあ、と。

母にはそもそも2度目の妊娠すら話してないし、

夫は夫で子どもができなかったことだいぶ落ち込んでたし。

やっぱり時間が解決してくれるのを待つしかないんだよね。